テーラワーダ仏教圏では、原始仏教の流れを受けて瞑想、仏道修行が行われています。日本の仏教とは異なり、教義は根本仏教(原始仏教)であり、供具戒も備え、伝統的な仏教徒としての姿を保っています。
形の点からいっても、テーラワーダ仏教圏の比丘は昔ながらのスタイルをおおよそ維持しています(細かいところでは異なってはいますが、おおむね維持されています)。
現在、日本にもテーラワーダ仏教の修行法、瞑想法は伝わってきています。
多いのが四念処です。漢訳では「大念処経」、パーリではサティパッターナスッタとして、長部の経典に収録されている有名な瞑想法です。
四念処は、行住坐臥、一時も休むこと無く気付きを入れて自己観察を続ける瞑想法です。タイのアチャーン・チャー師がこの瞑想法で悟り阿羅漢に至ったという話しは有名でしょう。
しかし近代では、四念処そのものズバリではなく、現代風にアレンジした瞑想法が一般的に広まっています。
たとえばミャンマーのマハシ長老が20世紀に開発されたマハシ式。テーラワーダ仏教協会で行われている方法でもあり。ヴィパッサナ瞑想といえばマハシ式が定着している感もあります。
また最近ではタイのプラユキ・ナラテボー師が伝えている「手動瞑想(チャルーン・サティ)」も知られつつあります。こちらはタイのルアンポー・ティアン師が同じく20世紀に開発された瞑想法になります。
ヴィパッサナ瞑想といえば、このように四念処系が多いのですが、これとは別の方法も提唱されているところがあります。
それがパオ瞑想になります。
パオでは、清浄道論を具体的なカリキュラムに据えて、原始仏典に記述のある通り、禅定を作り、そうして智慧の瞑想を行い、悟りに至るといったプロセスを経ていきます。
いわば禅定を意図的に作り、精緻な観察瞑想を行っていく点に特徴があります。
四念処では、禅定を作ることはしないで、自然と禅定かそれに近い近行定(ウパチャーラサマーディ)に至って観察をしていくかたちを取ることが多い印象です。
また四念処では、受(ヴェーダナー)を起点とした煩悩生起を静止させていくアプローチを取りますが、パオ式では、無明(アヴィジャ)を滅していくアプローチのようです。
仏陀の修行法はどれも同じ仏陀の修行法ですが、そのアプローチの仕方にはいくつかあるということになります。決して「どれが優れていて、これが劣っている」ということは一切なく、どれも同じ仏陀の修行法になります。
パオでは、禅定を作るアプローチを取っているということになるのでしょう。禅定といえば日本の禅宗に近いところがあります。
ですが、日本の禅宗とは違い、パオでは禅定に至り、禅定を深める指針が明確になっており、また智慧の修行がシステマティックになっています。テーラワーダ仏教圏の優れた修行体系を垣間見ることができる印象です。