2016年7月31日(日)
クムダセヤドー浜松瞑想会における御法話(3/3)
3.七歳で阿羅漢になったアニタの話し
※阿羅漢(あらかん)・・・仏陀のこと。
アニタは、七歳で出家して沙弥(比丘ではなく具足戒を受けていない少年)になりました。アニタは、サーリプッタ(舎利佛)尊者の元で出家しました。
ある日、アニタはサーリプッタ尊者と一緒に托鉢(たくはつ)に行きました。托鉢にいったときに、畑に水を回す灌漑(用水路)を越えていきました。
このとき、アニタは、サーリプッタ尊者に、「これは何ですか」と尋ねます。サーリプッタ尊者は「これは灌漑設備(用水路)ですよ」と。
「では、この水は生き物ですか?」と尋ねます。
「いいえ」と。
そこで、アニタは「生き物ではない水でさえも、使い方によっては給水や排水に使うことができるのか。それなら、生きている人間であるなら、やりたいことがやりたいようにできるだろう」と考えます。
さらに歩いていくと、矢をとがらせる人達を見かけます。矢が弓で射られる光景をみたときに、アニタは「この矢は生き物ですか?」と尋ねます。サーリプッタ尊者は「いいえ」と答えます。
そこでアニタは、「生き物でもない矢であっても、弓で射るとまっすぐ飛ぶことができるなら、生き物である人間なら、瞑想などやりたいことを目標にして達成することができるだろう」と考えました。
さらに歩いて行くと、木を切っている人達を見かけます。木を切っているところを見たとき、アニタは「この木は生き物ですか?」と尋ねます。サーリプッタ尊者は「木は生き物ではありません」と答えます。
これを見てアニタは、「生き物でない木であっても、自分の思うように切ることができる。それなら人間であるなら、自分の目標に向かって達成することができるのではないかと」と考えます。
生き物でないものであっても、人間は、用途によって使うことができる。それならば生き物である人間は、瞑想の修行していけば、瞑想を達成することができるだろうと、アニタは考えました。
七歳のアニタは、こうした思いで修行し続けたところ、七歳で阿羅漢になることができたといいます。
イマーヤ ダンマーヌダンマパティパッティヤー ブッダン プージェーミ
(私は、ブッダの教法に従って実践し、ブッダを敬い尊びます)
イマーヤ ダンマーヌダンマパティパッティヤー ダンマン プージェーミ
(私は、ブッダの教法に従って実践し、ダンマを敬い尊びます)
イマーヤ ダンマーヌダンマパティパッティヤー サンガン プージェーミ
(私は、ブッダの教法に従って実践し、サンガを敬い尊びます)
サードゥ、サードゥ、サードゥ。
(おわり)
◎2016年7月31日(日)浜松市・クムダセヤドー法話
◎1/3 瞑想に上達し成功するための15の教え
◎2/3 アーナパーナ・サティによる八正道
◎3/3 七歳の子どもが完全な悟りを得た(阿羅漢になった)アニタの話し