2013年7月13日 浜松瞑想会(於:クリエート浜松)における「クムダ・セヤドー御法話」13/13
◎死ぬための準備~「不善心(アクサラ)」を起こさず「善心(クサラ)」で臨終を迎える
仏陀の教えの中に、転生する際、四悪趣(地獄、餓鬼、畜生、修羅)という悪い境涯に落ちる人が多いというのがあります。人間界や天界に転生するケースは少ないといいます。ほんの一部が善処に生まれ変わります。
というのも、人間は、普段の生活おいては、貪り・怒り・無知・無明という「不善の心(アクサラ:akusala))が多く、「善の心(クサラ:kusala))でいることが少ないからです。
たとえば「欲」とは、何か欲しいといった執着の心になります。私の財産、私の子供、私の奥さんといった、人や物、生き物への執着といったように、執着にはいろいろとありますが、どんなものであっても執着は「不善心(アクサラ)」になります。「良い執着」というのはありません。
そうしてこの「不善心(アクサラ)」心のまま亡くなると、四悪趣(地獄、餓鬼、畜生、修羅)へ転生してしまいます。
しかし、こうした教えを知らなかったり、知識の無い方々は、「不善心(アクサラ)」のままでもいいじゃないかと思ってしまい、ほとんどが四悪趣(地獄、餓鬼、畜生、修羅)の墜ちてしまいます。ですから、こうした教えを基にして、どうすればよいかを考えていく必要もあります。
◎寝る前に「アナパナ瞑想」「慈悲の瞑想」の練習をする
「死ぬ」ときは、「寝ている」ような感覚になります。ですので、普段から寝る前に、アナパナ瞑想をしながら寝るとか、慈悲の瞑想をしながら寝るなどの練習をしておくのは望ましいことですし、ぜひそうしてください。
というのも、臨終を迎えるときに、呼吸に気付きながらの「アナパナ瞑想」をしますと、「不善心(アクサラ)」を生じないで、「善の心(クサラ)」の心で亡くなっていきますので、善処(天界、人間界)へ転生していくことができるようになるからです。
あるいは、「慈悲の瞑想」をしながら、臨終を迎えるのもいでしょう。同じように「善の心(クサラ)」の心で亡くなっていきますので、「善処」へ転生することができます。自分の臨終を乗り越えるために、どういう心で亡くなるかを考えて、普段から寝る前に、「アナパナ瞑想」や「慈悲の瞑想」を行って練習をしてください。
◎準備をしないで、その日暮らしをするなら動物と変わらない
人間は、ほかの動物よりも知恵があります。けれども、同じ人間でも、知恵ある人間は、先を見越して準備することが望ましくなります。そうでなければ、人間であっても、他の知恵の無い動物と同じになってしまいます。また、知恵や知識の乏しい人間に生まれ変わっても、動物と似たような生き物ですので、あまり意味が無いかもしれません。
動物も、人間と同じように、食べて、寝て、子孫を残し、快適に暮らすことをしています。人間であっても、知恵や知識を持たず、先のことを考えずに、その日暮らしをしていたなら、こうした動物と、ほとんど変わりがありません。
ですから、来世をよくするための準備は必要になってまいります。成功するためには、前もって準備する必要があります。準備することは、目的を達成するための「種」になります。仏道における「種」は「波羅密」といいます。事前に準備したり、整えてておくことは大切です。
いずれに人は死に到ります。その死に直面したときに、心をおだやかにしようとしても、なかなかできません。
ですから、臨終を迎える際に、「善の心(クサラ)」で亡くなることができるように、普段から、アナパナ瞑想や慈悲の瞑想を練習をしておくことが望ましくなります。
そうして、慚愧(ざんき)と五戒を守って、日々、精進してください。
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2013年7月13日(日) クムダセヤドー浜松瞑想会
1.アーナパーナ・サティのやり方と妄想・眠気対策
2.アーナパーナ・サティはニミッタ(似相)による四十業処(サマタ)の一つ
3.瞑想を深め集中力を高めるためには「戒」を守る必要がある
4.五自在と五禅支と禅定力とについて
5.禅定について(第一禅~第四禅)
6.三十二身分瞑想~第四禅定の禅定力が無いと観ることができない
7.ヴィパッサナ瞑想~ルーパ瞑想【無常・苦・無我を観察】
8.ヴィパッサナ瞑想~ナーマ瞑想【心と心所を観察】
9.「戒(シーラ)」は瞑想の土台であり基礎
10.慚(hiri)愧(ottappa)は戒律を守る上で大切であり、悪趣に転生しない心
11.信(saddha)は浄心であり心が澄み明るくする
12.アーナパーナサティでは「自然な呼吸」に気付きを入れていく
13.「善心(クサラ)」で死ぬための準備~寝る前に「アナパナ瞑想」「慈悲の瞑想」の練習を