2013年7月13日 浜松瞑想会(於:クリエート浜松)における「クムダ・セヤドー御法話」8/13
◎ヴィパッサナ瞑想~ナーマ瞑想
たとえば、セヤドーの法話を来ているときに、耳の中で、耳浄色(ソタ・パサダ)という音を聞いています。このとき心が生じます。聞いているという「五門引転心」での「耳の引転心」になります。※「引転心」とは顕在意識のこと。
その音を聞いて、自分は納得して、たとえば「ジャワナ」という意識が生じますが、こうした意識には34個の「心」と「心所」が含まれています。
このように、一つ一つの心を調べて、そこに、どういう「心」と「心所」が含まれているのかを、自分で調べて、確認して、無常・苦・無我をみていきます。
「心」と「心所」とで34個になりますが、1個は「心」で、残り33個は「心所」になります。この「心」と「心所」は、同時に発生して、同時に滅していきます。一刹那(いっせつな)に含まれている「心」と「心所」を観察していきます。
一刹那とは、極微小の瞬間で、光の17倍のスピードで生じては滅しています。心の生滅は、スピードが速いため、「物質」を心眼で見ることができないと、「心」の生滅を見ることは難しくなります。
「五門引転心」の中で、眼識の場合でも、たとえば眼でセヤドーの姿を見て、姿はパサバ(透明感)という要素に映り、ここに「眼識」が生まれます。
耳の場合も同じです。耳の中にあるパサダという透明の要素に、音がぶつかると、音が聞こえるという「耳識」が生まれます。
食事をするときなどで味を感じるときも同じです。舌の中にあるパサダという透明感の要素に、物質が当たると、甘いとか苦いとか辛いといった味を感じる「舌識」が生じます。
臭いや香りも同じです。鼻の中にあるパサダ(透明感の要素)に、物質が当たると、臭いを感じて「鼻識」を生じます。
自分の体全身に含まれているパサダ(透明感の要素)もあり、ここに何かぶつかったり、触ったりして接触が起きると、固いとか柔らかいといった感覚が起きて、「身識」が生じます。
心というのは、適当に生じているのではなく、それぞれの五門において生じています。ですから、心が、五門にそれぞれ生じていることを、瞑想で知り、理解していきます。そうして、それぞれの心が、「生じては滅し」を繰り返し、無常であり、苦であり、無我であることを見ていきます。
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2013年7月13日(日) クムダセヤドー浜松瞑想会
1.アーナパーナ・サティのやり方と妄想・眠気対策
2.アーナパーナ・サティはニミッタ(似相)による四十業処(サマタ)の一つ
3.瞑想を深め集中力を高めるためには「戒」を守る必要がある
4.五自在と五禅支と禅定力とについて
5.禅定について(第一禅~第四禅)
6.三十二身分瞑想~第四禅定の禅定力が無いと観ることができない
7.ヴィパッサナ瞑想~ルーパ瞑想【無常・苦・無我を観察】
8.ヴィパッサナ瞑想~ナーマ瞑想【心と心所を観察】
9.「戒(シーラ)」は瞑想の土台であり基礎
10.慚(hiri)愧(ottappa)は戒律を守る上で大切であり、悪趣に転生しない心
11.信(saddha)は浄心であり心が澄み明るくする
12.アーナパーナサティでは「自然な呼吸」に気付きを入れていく
13.「善心(クサラ)」で死ぬための準備~寝る前に「アナパナ瞑想」「慈悲の瞑想」の練習を